とりあえあず、会いたい



不器用な腹パン恋愛物語



俺はあいつの腹が好きだった。それしかあいつに対してそれ以外の感情はなかった。



週に一回。日曜日の夜。エリカと近所のファミレスで会い、食事をした後ラブホテル向かい俺がエリカの腹を殴る。



その日もそうだった。他愛もない話をしながら食事をしてその流れでホテルにチェックインして二時間ほど殴るというコース。


ウッ!




ハスキーな声がさらに濁った感じに、腹を殴るとエリカの口から空気が一気に漏れる。


肩で息をして殴られた箇所を片手で抑え顔を歪めながら、それでも憎しみも恨みもない変わらない目で俺の方を見つめている。




いつもの光景だが、いつもながらそれに勃起する。きっと、俺にとってこれが普通で言うセックスみたいなものなのだろうと思う。
  


 「今日は中々吐かないね」
    


エリカは歪めた顔から無理やり笑みを作ろうとするから苦笑いのようになる。大体、このホテルでのプレイと呼んでいる暴力行為は、彼女が嘔吐することで終わることになっている。大体、一時間半前後で嘔吐するのだが、今日はもうすぐ二時間になろうとしてまだ嘔吐しない。




相変わらずこの女の考えていることはわからない。




俺はこの通り、女の腹を殴ることに性的な興奮を覚える異常性癖の持ち主であるのだが、この女自体は、殴られることを好むような特殊な人間ではなくむしろ痛覚を覚えることは苦手だと言っていた。
 



 「じゃあ、少し強く殴るぞ」
   



 殴りの強さはいつもと同じのつもりだった。




全力でエリカを殴ったことはなかった。怪我をさせたら大変だという頭があったからかもしれない。だが、今日は嘔吐もしないし、なぜかいつもよりハイテンションだったこともあって思い切りぶち込んでやろうと思った。 



 ウッ! ウッ! ウッ! 
   


ほぼ全力でエリカの鳩尾と胃袋の辺りに拳をぶち込む。調子に乗って最後に今までにしたことのないバックスピンキックを見舞ってやった。
  


ウウウウ!
   



ブッチという今までに聴いたことのない音があいつの腹から響いた。やりすぎたと瞬間的に後悔した。
   



腹から足を話した瞬間に、エリカはその場に蹲り両手で腹を抑えて今までにない苦痛の顔を見せる。




そして俺が「大丈夫か」と声を掛けようとしたその時に、あいつの口から赤い液体が吐き出された。
  



「お前……」
   


咽こむエリカに思わず俺は半歩後ろに下がった。まずいことをしてしまった。様々なことが脳裏を過ぎる。その全てが俺自身の身を案じることばかりだった。
 


 「お前が悪いんだからな。俺は何もしていないぞ」
   



苦し紛れに言った言葉にも、エリカは相当な激痛らしく蹲ったまま返事をしなかった。額には脂汗が浸っていた。
 



 「じゃ、じゃあ。俺、今日は帰るわ。ホテル代は俺が払うから。ここに置いておくぞ」
   


それから数日間、あいつとは会わなかった。連絡も取らなかった。いや、細かく言うならエリカから何度か電話やメールが届いていた。それに俺が出ることはなかった。



メールの内容や留守電を聴く限り、エリカは病院には行かずに数日経った今は、何事もなく元気で暮らしているらしい。



また今週の日曜日、自分の腹を殴ってもいいとまで言っている。俺が考えていることはそういうことではなかった。



もうおそらく、あいつの腹は殴れない。殴る気にならない。




大丈夫とかそういうことではなくて、もうあんな恐怖におののくのはもう嫌だし、その恐怖を背中に背負うように殴るまで殴りたくない。



殴らないならばあの女は用済みだ。



この世の中、人間も何もかも「いる」か「いらない」かのモノだ。


自分に対して利益があるか利用価値があるか。時々、その「いらない」モノを付き合いだという名目の元に持ち続けている奴らがいるが、俺は荷物になるモノは捨てていくタイプだ。




きっと、あの女も今は俺に嫌われて別れを切り出されるのではないかと不安で何とか連絡をしようとしているのだろうが、数週間すれば諦めて他の男でその不安とやらを埋める作業に入るだろう。人はそうしないと生きていけない。





 一週間はあっという間に過ぎた。今日は日曜日だが全ての時間が暇だ。



これまでならあいつと会っていて半日の予定が詰まっていたがそれもない。これまでと言っても、たった半月もしない年月だったが、それが習慣化していたのか長くそんな週末を過ごしていた気になる。
 



朝、腹が減ったから家に誰もいないリビングで目玉焼きを簡単に作って戸棚にあったパンと共に食べた。目玉の部分をフォ−クでそっと押すと、薄い半透明の膜が凹む。




そういえば、あいつの腹もこんな柔らかい感触だったと思い出す。



細い癖に筋肉もないから柔らかくて、拳がどこまでも腹にめり込み吸い込まれていく。そして殴られていた時のあいつの目を思い出す。




数秒押された目玉はいつの間にか膜が破れて中の黄色い液体が漏れ出していた。




家にいても何もすることもないから、散歩でもしようと外へ出て五月なのに今日は半そででもいいくらいに気温が高くなっていることに気づく。



すぐに水分が欲しくなり、近くの公園に立ち寄り、水のみ場で水を飲む。こういう場所で飲むのに慣れていないせいか、上がってくる水を上手く飲もうとするが、飲めるのはほんの少しで殆どは下に落ちて水が排水溝へと流れる。





そういえば、あいつの腹を初めて殴ってその場で吐いた時も吐しゃ物も生き物のように動いて床を流れるようにして広がっていたことを思い出す。




あれ以来、吐きそうになったら口を抑えて駆け足でトイレに駆け込んで嘔吐していた。相当恥ずかしかったんだと思う。



そもそも、痛いのが苦手なのに吐くまで殴られるか。しかも毎週。あいつは馬鹿なのか。そうか馬鹿だ。馬鹿なんだ。あいつは。




いつの間にか携帯電話を手に取り、名簿からあいつの名前を探し出していた。
 

 「ああ。俺」
   



ここ二、三日、頻繁に駆けてきたあいつからの電話やメールもきっぱり来なくなっていた。
 


 「え、えっと……」
   


エリカの声を久しぶり聴いた気がする。俺は次の言葉が出てこない。
 


 「あのさ、俺さ……」
 


 「ごめん、ごめん。ホントにごめん……」
   



いきなり、叫んでいるような声で電話越しからあいつがそう言ってくる。何がごめんなんだろう。謝るのはむしろ俺の方だ。
  


「えっと。とりあえず会いたい」
   



俺はそんなエリカをさえぎるように、とりあえずそう言ってみる。




「え?」
 


 「だから、とりあえずお前に会いたい。今日空いているかな」
   



電話越しに鼻を啜る音が聴こえる。泣いているのだろうか。数秒黙り込んだ後、うんという返事が聴こえた。





きっとあいつも俺と同じなのだろう。人の愛し方がわからなくて。でも、人を愛したくて、あいつもあいつで必死で愛し方を見つけようとしている。



不器用なんだよな。俺たち。





いつも通りのいつも通りの時間に会うことを約束し、電話を切った。




とりあえず、今日は優しく殴るようにしてみるかとニタリと笑い、いや、殴るのはもうよそうかなとまたニタリと気持ち悪く笑った。

俺は財布から五千円を取り出し、エリカの目の前に置いて早足で部屋を出た。