柔らかいお腹
「私ってホント可愛くない」
彼女は自分に対してコンプレックスの塊だった
初めて入ったサシコの部屋は、彼女の家の二階にある八畳ほどの部屋で、甘い香水のような匂いが漂う、女らしく可愛らしい彼女らしい部屋だった。
「私ってホント可愛くない」
しかし、そんなサシコから想像もつかないほど、彼女は自分に対してコンプレックスの塊だった。だいたい、私は彼女と他愛もない雑談をしていると、言葉のニュアンスを変えてだがこのセリフを一日に最低五回は聞く。
「そんなことないって」
そしていつもの私のセリフ。
そして彼女は空ろになってしばらく黙り込む。最初、サシコは謙遜や他の人間に「そんなことないよ。サシコ可愛いよ」と言ってもらいたくわざと言っているのかと思っていたが、どうやらかなりのネガティブ人間でどんなことも悪い方向へと考えられる能力がある持ち主だ。
「あのさ」
すると、サシコは不満げに自分のお腹を手で摩る。細いボディライン。何だ。何だ。その腹にケチがあるのか。その腹のどこが気に入らないんだ。
私なんて、その三倍はウエストあるんだぞ。それでも、明るく生きているんだぞ。
「今日は何?」
つい、いらついていた心の叫びが口から漏れる。だが、サシコはあまり聴いている様子はなく、自分の世界にどっぷりと入り込んでいる様子だった。
「あのね、私のお腹って気持ち悪くない?」
「はぁ? 何が?」
私はまたイラつきが口から漏れた。いや、今度は溢れ出たと言った方が妥当かもしれない。
「だって、ガリでさ、しかも妙に硬いっていうか女の子らしい柔らかさがないの」
で? 私は言いかかって止めた。
「私、沙織みたいに脂肪がいい具合についていて、柔らかそうなお腹が良かった」
おい、テメー喧嘩売っているだろう。拳を握り締め、それでも顔は笑顔をキープする。
「そう? サシコそんなふうに見えないけど」
サシコはその励ましに期待通り大きく首を振る。
「全然。触ると筋みたいな感触があって気持ち悪いの。ほら、触って」
サシコは身体を私に近寄らせる。私は「じゃあ」と言って彼女のお腹をゆっくりと触ってみる。弾力のあるお腹。まるでトランポリンを触っているような感触。十分柔らかいお腹。
少し押しただけなのに指の第一関節まですっぽりめり込んでいく。
「これは普通だよ。私だってそんな感触あるし。サシコは痩せているから脂肪がない分腹筋の筋がよく感じられるだけだよ」
「それが嫌なの!」
サシコは子供のように駄々を捏ねるように両腕を振り降ろす。
「……」
私はその態度に、正直しばし呆然としてしまった。
「押して。いや、殴って」
「え?」
「私のお腹殴って」
「……」
私はまた呆然と言葉を失ってしまう。
「友達でしょ」
友達と言う言葉はこういう時に使う言葉なのだろうか。疑問に思ったが、その言葉に私は弱い。
「わ、わかったよ。軽くね」
「うん」
私は仕方なく、拳をつくりそれを彼女のお腹にめり込ませる。殴られたと同時にお腹が弾む。
「ウッ」
彼女は顔を歪めて殴られたお腹を片手で押さえ猫背になる。
「大丈夫? 強かった?」
彼女はその呼びかけに首を振って答える。
「もっと強くして。痛くないとダメよ」
「いや、殴っても柔らかくならないと思うけど」
「いいの! 殴って」
自分の腕を後ろに回して、彼女は殴られる体制になる。顔に似合わず意外に頑固だなと心の中で思う。
「よしじゃあ行くよ」
もうこうなったら、さっきのイラつきを拳に込めてやる。渾身の一発が彼女のお腹にヒットする。
「ウウウ……」
サシコはその場に蹲り咽こむ。彼女の内蔵が大きく圧縮される感触がまだ拳に残っている。完全にやりすぎたと思った。
「だ、大丈夫?」
咽こみながら、サシコは顔を上げて手を振る。
「うん。もっと強くね」
「え? もう今ので限界。これ以上強くできない。っていうか、もう止めた方がいいよ。壊れちゃうよ」
まだやるのかよ。私はもうしたくない。自分の目の前で痛がる人間を見るのはもう嫌だ。
「わかった。じゃあ今度は押し込んでよ」
「え?」
「殴ったらどんどん拳を押し込んでいくの。ぎゅーって」
ぎゅーって。じゃないし。もう嫌だって言っているでしょうが。
「もういいじゃない。十分柔らかいよ」
「沙織。友達だよね?」
またその言葉か。わかったわかったよ。そんな悲しい訴える目で言わないでくれよ。仕方なく、私は彼女の言うとおりにする。
「イタ! ウウ……」
サシコのお腹に私の拳が食い込んでいく。
「いい? もういい?」
しかしサシコは十分苦しそうに顔を歪ませながらも、大きく首を振ってまだやると合図する。
「ほら、いいでしょ?」
と、急に彼女から呻き声がなくなる。すると、彼女の口から白い液体が吐き出される。それが殴っている袖に付着する。
「うわ……」
私は思わず腕をお腹から放す。サシコは液体を吐いたままその場にまた蹲る。
「だ、大丈夫?」
私は彼女の身を案ずる言葉をかけながら、袖にかかった液体が異臭を放っていることに気になった。二日前にかったばかりの服だった。
この匂いと色、洗って取れるのだろうか。
この時、この子とは一生遊ぶことはよそうと私は心から誓った。
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